※上記は紙媒体の書籍です。
東野圭吾と聞くと、緻密なトリック、冷静な論理、重厚な人間ドラマを思い浮かべる人が多いはずです。
ところが本書『あの頃ぼくらはアホでした』を読むと、そのイメージは見事に崩れ落ちます。
そこに描かれているのは、後に大作家となる人物の姿ではなく、ただただ「どうしようもなくアホだった少年・青年時代」の記録です。
タイトルに偽りなしの“想像以上のアホさ”
本書は東野圭吾自身の小学生時代から、中学・高校、浪人、大学、そして社会人になるまでを綴った自伝的エッセイです。
しかも文体は大阪弁まじりで、とにかく軽快。
読んでいて何度も「これ本当に書いて大丈夫?」とツッコミを入れたくなるほど、無防備に過去の失敗談や黒歴史が語られます。
小学生時代の無意味な悪ノリ、大荒れだった中学時代、今なら完全アウトな行動の数々。
時代背景もあり、現在の価値観で読むとヒヤッとする話も少なくありません。
しかし、それらを武勇伝として誇るのではなく、「いやほんま、アホやったんですわ」と笑い飛ばす姿勢が、逆に清々しいのです。
青春の失敗がそのまま“笑い”になる力
この本の魅力は、単なる暴露エッセイに終わらないところにあります。
東野圭吾は、自分の過去を客観的に見つめ直し、「なぜあんな行動を取っていたのか」「今思えば何がズレていたのか」を、笑いを交えながら丁寧に掘り下げています。
ゴジラへの異常な愛、意味不明なこだわり、そして見事に発動する“マーフィーの法則”。
「ああ、こういう友達いたな」「いや、もしかしたら自分も似たようなことしてたかも」と、読者の記憶まで引きずり出してくる力があります。
特に印象的なのは、細部まで驚くほど鮮明に覚えている記憶力です。
学生時代の空気感や感情がそのまま文章に落とし込まれており、これはもう作家としての才能以前に、一種の資質だと感じさせられます。
天才作家の“人間臭さ”に親近感が湧く
普段、東野圭吾の小説を読んでいると、「この人はきっと完璧な人なんだろう」と錯覚してしまいがちです。
しかし本書を読むと、その幻想は気持ちいいほど壊されます。
「こんなにアホな過去があったのか」と思うと同時に、不思議と距離が縮まる感覚がある。
失敗だらけで、調子に乗って、空回りして、それでも必死に生きてきた一人の人間。
その延長線上に、今の東野圭吾がいるのだと実感できます。
だからこそ、本書を読んだあとに東野作品を読み返すと、人物描写の温度やユーモアの源泉が少し見えてくるのです。
笑って思い返せる青春は、最高の財産
『あの頃ぼくらはアホでした』は、過去を美化する本ではありません。
むしろ「アホだった」と断言し、それを笑いに変えることで、人生そのものを肯定しているように感じられます。
老齢になって、笑って思い返せる青春時代があること。
それ自体が、ものすごく大切な宝物なのだと、この本は静かに教えてくれます。
重たいミステリーに疲れたとき、あるいは人生に少し余裕がなくなったときにこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊です。
笑えて、懐かしくて、そしてどこか救われる。そんな読後感が待っています。
※上記は紙媒体の書籍です。


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