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【書評】東野圭吾『美しき凶器』|恐怖と切なさが交錯する“女”の物語


※上記は紙媒体の書籍です。

東野圭吾『美しき凶器』は、読み終えたあとに胸の奥がざわつく作品です。

派手なトリックや鮮やかな逆転劇というよりも、人の弱さや裏切り、そして「被害者とは誰なのか」という問いが、静かに、しかし確実に残ります。

イヤミスではない。

それでも決して後味がいいとは言えない。

そんな、東野圭吾らしい一冊です。

警察・犯人・追われる側が交錯する構成

物語は、複数の視点を行き来しながら進んでいきます。

警察側の捜査、正体不明の殺人者、そして事件に巻き込まれていく人々。

それぞれの章がテンポよく切り替わるため、序盤は少し説明が長く感じるものの、物語が本題に入った瞬間、一気に引き込まれます。

スポーツ選手たちが次々と襲われる事件。

読み始めた当初は「実写化するなら誰だろう」などと、どこか余裕を持って読めるかもしれません。

しかし、その感覚はある人物の登場によって完全に崩れ去ります。

物語は次第に、単なる連続殺人事件ではなく、人間関係の歪みと心理の恐怖へと姿を変えていくのです。

“タランチュラ”という凶器の存在感

本作最大のインパクトは、190センチを超える女性殺人者、通称「タランチュラ」の存在でしょう。

その圧倒的な身体能力と暴力性は、純粋な恐怖として描かれています。

追われる側の視点で描かれる場面は息苦しく、ページをめくる手が止まりません。

しかし読み進めるうちに、単純な「怪物」ではないことが明らかになります。

タランチュラは、加害者であると同時に、明確な被害者でもある。

その事実が突きつけられたとき、恐怖の質が変わります。

怖いのは彼女の力ではなく、そこに至るまでに積み重ねられた人間の残酷さなのだと気づかされるのです。

翔子という存在がもたらす真の恐怖

本作で最も読者の心をえぐるのは、翔子の存在でしょう。

物語終盤で見せる豹変には、思わず「やられた」と声が出そうになります。

それまで何気なく読んでいた場面が、「あれは伏線だったのか」と一気に意味を変える瞬間。

最後に放たれる“犯人のひと言”は、静かでありながら強烈です。

タランチュラの暴力よりも、翔子の裏切りのほうが恐ろしい。

そう感じた読者は少なくないはずです。

人はこんなにも自然に顔を変え、立場を変え、他人を切り捨てられるのか。

その現実味が、読後もじわじわと心に残ります。

切なさが残るラストと女性としての痛み

ラストに描かれる、赤ちゃんの存在を気にかける描写は、本作の中でも特に印象的です。

そこに救いがあるわけではありません。

ただ、失われたものの大きさと、取り返しのつかなさが、静かに伝わってきます。

特に女性読者にとっては、心が苦しくなる場面も多いでしょう。

強さ、美しさ、利用される身体、そして捨てられる存在。

『美しき凶器』というタイトルの意味が、読み終えたときに重くのしかかります。

派手さはない。

けれど確実に心を抉ってくる。

これこそが、東野圭吾の“人間を書く力”なのだと感じさせられる作品です。


※上記は紙媒体の書籍です。

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