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【書評】東野圭吾『むかし僕が死んだ家』|記憶と罪が絡み合う“静かな恐怖”の正体


※上記は紙媒体の書籍です。

東野圭吾『むかし僕が死んだ家』は、派手な殺人事件や大胆なトリックが前面に出る作品ではありません。

それでも、読み始めるとページをめくる手が止まらなくなる――そんな“静かな引力”を持った一冊です。

記憶、過去、そして人が目を背けてきた罪。

そのすべてが、埃にまみれた一軒の家を舞台に、じわじわと明らかになっていきます。

元恋人・沙也加からの不可解な頼み

物語は、「私」が7年前に別れた恋人・沙也加から、突然ある頼みを受けるところから始まります。

「一緒に来てほしい場所があるの」

それは、彼女自身の失われた記憶を取り戻すための旅でした。

正直なところ、読者としても少し引っかかります。

自分を振った相手の願いを、なぜここまで手伝うのか。

どこか釈然としない感情を抱えたまま、「私」は沙也加と共に、彼女の父がかつて通っていたという“幻の家”へ向かいます。

この時点で、すでに東野圭吾は読者の感情を巧みに揺さぶってきます。

電気もガスもない家に残された日記

二人が辿り着いた家は、無人で、電気もガスも通っていない埃だらけの建物。

人が住んでいた痕跡はあるのに、どこか不自然で、居心地の悪さが漂っています。

その家で見つかるのが、過去を記した日記の数々です。

この日記をきっかけに、沙也加の記憶の断片、父親の不可解な行動、そして「私」が知らなかった過去が、少しずつ形を持ち始めます。

会話文が多く、展開も早いため、重たいテーマでありながら驚くほど読みやすい。

気づけば「次の真実」を求めて、読み急いでしまいます。

沙也加への違和感と読者の葛藤

本作を読んでいて、多くの読者が感じるのが「沙也加への違和感」でしょう。

彼女は決して悪人ではない。

しかし、どこか自分本位で、周囲への配慮に欠ける言動が目につきます。

「私」がここまで協力しているのに、それに対する感謝や思いやりが感じられない。

その点で、最後まで彼女を好きになれなかった、という感想が出るのも頷けます。

ただ、この“嫌悪感”こそが、本作の重要な要素でもあります。

人は誰しも、自分の都合の悪い記憶から目を逸らしたくなる。

その弱さが、沙也加という人物を通して、あまりにもリアルに描かれているのです。

「僕」は誰だったのか――静かに明かされる真相

物語が進むにつれ、読者はある疑問に行き当たります。

「むかし僕が死んだ家」とは、どういう意味なのか。

そして、“僕”とは誰なのか。

中盤あたりから、「もしかして」と感じていた予感が、終盤で静かに、しかし決定的に裏付けられます。

この明かし方が実に東野圭吾らしい。

派手な演出はなく、読者の理解が追いついた瞬間、背中に冷たいものが走るのです。

『透明な螺旋』へと続く読書の沼

本作を読み終えたあと、「私」が誰なのか、という点が気になった人も多いはずです。

その答えは、後年の作品『透明な螺旋』へと繋がっていきます。

そうと知ると、もう読まずにはいられません。

東野圭吾の作品世界が、静かに、しかし確実に広がっていく感覚を味わえるでしょう。

『むかし僕が死んだ家』は、一気読み必至の心理ミステリーでありながら、人の弱さや記憶の残酷さを深く突きつけてくる作品です。

派手さはない。

でも、読み終えた後に、確実に心に残る一冊です。


※上記は紙媒体の書籍です。

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