※上記は紙媒体の書籍です。
東野圭吾と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、緻密なトリックや重苦しい人間ドラマでしょう。
しかし『怪笑小説』は、そのイメージを気持ちいいほど裏切ってきます。
本作は「笑える短編集」ではありますが、読後に残るのは単純な爽快感ではありません。
むしろ、どこか後味が悪く、心に引っかかる。
だからこそ、忘れられない一冊なのです。
「怪笑」とは何か?笑いの裏に潜む毒
『怪笑小説』は全9編からなる短編集です。
タイトル通り、ここで描かれる笑いは“爆笑”ではなく“怪笑”。
思わず口元が緩むのに、同時に「これは笑っていいのか?」と戸惑ってしまう、そんな感覚がつきまといます。
ネジの外れたプロット、極端に誇張された人物像、そして倫理や常識を平然と踏み越えてくる展開。
筒井康隆や星新一を思わせるエッセンスを感じつつも、そこに東野圭吾らしい「人間の嫌な部分」がしっかりと混ざっているのが特徴です。
印象に残るエピソードたち(多少ネタバレあり)
中でも強烈なのが「しかばね台分譲住宅」。
ミステリー界の大御所が、殺人事件という題材をここまで“軽々しく”扱っていいのか、と一瞬ひるみます。
しかし、その不謹慎さこそが本作の肝。
殺人が日常に溶け込んでしまった世界を描くことで、人間の感覚の麻痺を痛烈に皮肉っています。
一方で、「あるジーサンに線香を」は異色の一編です。
ふざけたタイトルとは裏腹に、物語にはしんみりとした喪失感が漂います。
ブラックユーモアの中に、確かな感情の重みがあり、「笑い」と「哀しみ」が紙一重であることを実感させられます。
「逆転同窓会」は初読ではややパンチが弱く感じられるかもしれません。
しかし、巻末のあとがきを読んだ後に再読すると、評価が一変します。
作者の意図を知ったうえで読むことで、じわじわと味わいが増してくる、スルメのような作品です。
大トリ「動物家族」が突きつける不快感と快感
ラストを飾る「動物家族」は、正直言って胸糞が悪い。
家族という最も身近で安全なはずの共同体が、ここまで歪みきるのかと、読んでいて不快感すら覚えます。
なぜこんな話を最後に持ってきたのか、と疑問に思う人も多いでしょう。
しかし、その疑問はラストのオチで一気に回収されます。
読後に残るのは、嫌悪感と同時に妙なスッキリ感。「これぞ怪笑」と思わず唸ってしまう締めくくりです。
あとがきまで含めて一冊の作品
『怪笑小説』を語るうえで、巻末のあとがきと解説は欠かせません。
各作品に対する著者自身のコメントを読むことで、「なぜこんな話を書いたのか」「どこを狙っていたのか」が見えてきます。
このあとがきを読んでから本編を振り返ると、印象が大きく変わる作品も少なくありません。
個人的には、「実は一番面白かったのはあとがきかもしれない」と感じるほどでした。
笑えるのに疲れる、不思議な読書体験
本作はコメディ短編集ですが、決して軽くはありません。
一話一話が非常に作り込まれており、読んでいると意外と疲れます。
そのため、一気読みよりも「朝に一話、寝る前に一話」といった読み方がちょうどいいでしょう。
『毒笑小説』よりも、よりシュールで、より人間の闇に踏み込んでいる印象もあります。
東野圭吾初心者には少し刺激が強いかもしれませんが、作家の振れ幅や実験精神を知るには最適な一冊です。
笑いながら、心の奥をチクリと刺される。
そんな読書体験を求める人にこそ、『怪笑小説』は強くおすすめできます。
※上記は紙媒体の書籍です。

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