※上記は紙媒体の書籍です。
東野圭吾『虹を操る少年』は、いわゆる殺人事件を追うミステリーではありません。
それでも読み始めるとページをめくる手が止まらず、気づけば一気読みしてしまう不思議な引力を持った作品です。
本作が描くのは「力を持った少年」と「それを利用し、恐れ、排除しようとする大人たち」の物語。
フィクションでありながら、現実社会を鋭く映し出す一冊です。
虹を操る少年・功一の存在
物語の中心にいるのは、虹を自在に操る不思議な能力を持つ少年・功一。
彼はその力を誇示したいわけでも、世界を支配したいわけでもありません。
ただ、自分の力を理解し、受け入れてほしいだけの存在です。
しかし、大人たちはそうは見ません。
功一の能力は「便利な道具」であり、「危険な異物」でもある。
やがて彼の力を利用しようとする者、封じ込めようとする者が現れ、物語は少しずつ不穏な方向へと進んでいきます。
この構図は、超能力という非現実的な設定でありながら、どこか妙にリアルです。
組織と個人、そして“現状維持”の恐ろしさ
本作で強く印象に残るのは、明確な悪人よりも「組織の論理」です。
誰か一人が極端に冷酷というよりも、「前例がないから」「波風を立てたくないから」「責任を取りたくないから」という理由で、功一の未来が押し潰されていく。
いわゆる“お局”的な存在や、変化を嫌う人間たちの描写には、思わず苦笑いしてしまう読者も多いでしょう。
新しいルールや可能性を拒絶し、現状を守るためなら平気で人を切り捨てる。
この光景は、どの時代にも、どの組織にも存在します。
だからこそ、『虹を操る少年』は単なる娯楽小説に留まらず、読者自身の立場や姿勢を問いかけてくるのです。
広がりすぎた物語と割り切れない思い
登場人物は多く、物語のスケールも決して小さくありません。
その一方で、首謀者の背景や功一の父親の過去、途中で姿を消す人物たちなど、「説明しきれていない」と感じる部分も確かにあります。
風呂敷を広げたまま、すべてを回収せずに終わった印象を受ける人もいるでしょう。
しかし、その未消化感こそが、この作品の読後感を強くしているとも言えます。
現実だって、すべてが明確に説明されるわけではない。理不尽なまま終わる出来事も多い。
東野圭吾はあえてその感覚を読者に残したのではないか、そう思えてなりません。
唐突な終わり方と、それでも残る余韻
「え、ここで終わるの?」と思わず声が出そうになるラストは、東野圭吾作品ではおなじみとも言える手法です。
その後どうなったのか、功一の未来はどうなるのか、読者の想像に委ねられます。
特に印象深いのは、爆死した母親の存在と、FAXで送られるメッセージ。
あの一通がなければ、功一は誰にも信じてもらえなかったかもしれない。
だからこそ、あの行動が胸に刺さります。派手な感動ではなく、静かで切実な救いがそこにはありました。
読みやすさの中にある重いテーマ
殺人推理ものではありませんが、驚くほど読みやすく、あっという間に読み終えてしまいます。
文章は平易でテンポも良く、横溝正史などを読んできた人ほど「現代作家は読みやすい」と実感するでしょう。
それでいて、「集団の怖さ」「変わることの難しさ」「個人が声を上げる意味」というテーマは重く、読み終えた後も心に残り続けます。
自分は変化を拒む側になっていないか、誰かを捨て駒にしていないか。
そんな問いを、静かに突きつけてくる作品です。
※上記は紙媒体の書籍です。


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