
『論語』と聞くと、
「昔の偉い人が語った道徳の本」
という印象を持つ人もいるかもしれません。
親を大切にする。
礼儀を守る。
立派な人間になる。
もちろん、そうした読み方もあります。
しかし、安冨歩さんの『超訳論語』はかなり違います。
本書の中心にあるのは、
「人はどう学ぶのか」
という問いです。
「学ぶ」
「知る」
「仁」
「君子」
「和」
といった『論語』の有名な言葉を、「学習」という視点から読み直していきます。
そのため、一般的な論語入門書を想像して読むと、かなり意外に感じるでしょう。
この記事では、安冨歩さんの『超訳論語』の内容を簡単に要約しながら、本書独自の「学び」「仁」「君子」の考え方、一般的な論語との違い、良かったところや気になるところまで紹介します。
作品データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 超訳論語 |
| 著者 | 安冨歩 |
| 出版社 | ディスカヴァー・トゥエンティワン |
| 発売日 | 2012年12月13日 |
| ページ数 | 288ページ |
| ISBN | 978-4-7993-1261-2 |
| ジャンル | 中国古典・思想 |
本書は、『論語』を原文通りに現代語へ訳した本ではありません。
安冨歩さんが従来の読み方にとらわれず、『論語』をあらためて読み直した一冊です。
そのため、
論語そのものを正確に勉強する本というより、新しい角度から論語を考える本
と捉えた方が分かりやすいでしょう。
3分でわかる要約
『超訳論語』を一言でまとめるなら、
学び続けられる状態を保つことが、人として生きるうえで重要だと考える本
です。
本書では、「学ぶ」と「習う」を同じものとして扱いません。
新しいものに触れる。
自分の考えが揺さぶられる。
何度も試す。
考え直す。
そして、自分自身の理解として取り戻す。
こうした過程そのものを重視します。
さらに、
知らないことを知らないと認める。
自分の考えを固定しない。
間違いに気づけば変える。
他者との対話から学ぶ。
という姿勢が、
「仁」
「君子」
「和」
といった言葉につながっていきます。
単なる道徳の本ではなく、
人間が学び続けるための思想として『論語』を読む
ところが、本書最大の特徴です。
一般的な論語との違い
一般的な『論語』の入門書では、
原文。
読み下し文。
現代語訳。
歴史的な意味。
といった順番で解説するものが多くあります。
一方、『超訳論語』は、
「孔子の言葉を現代ではどう受け取れるか」
にかなり踏み込んでいます。
出版社自身も、本書を従来の「読み」にとらわれない異色の超訳として紹介しています。
そのため、
「この文章には、こういう読み方もできるのか」
という面白さがあります。
反面、
安冨歩さん独自の解釈が強い
ことも理解しておく必要があります。
『論語』の標準的な意味を勉強したいのであれば、別の現代語訳や注釈書も読んだ方がよいでしょう。
本書は、
「論語の正解を覚える本」
ではなく、
「論語を材料に、自分でも考える本」
として読む方が合っています。
「学ぶ」は危険な行為?
本書の最初の章には、
「学ぶことは危険な行為だ」
という印象的なタイトルがつけられています。
普通なら、
「学ぶことは良いことだ」
と考えます。
ところが本書では、学ぶことによって他人の知識や考え方を受け入れると、一度は自分自身の感覚を失う危険があると考えます。
たとえば、本に、
「これが正しい」
と書いてある。
偉い人が、
「こうするべきだ」
と言っている。
それをそのまま受け入れれば、知識は増えます。
しかし、
「自分は本当にそう思うのか」
を考えなくなれば、自分自身の感覚を失ってしまいます。
そこで必要になるのが「習う」ことです。
学んだものを何度も自分の中で確かめる。
実際に試す。
考え直す。
そして最終的に、自分自身の理解として取り戻していく。
本書では、
学んで終わりではなく、自分のものになるまで考え続ける
ことが重要になります。
「知る」とは何か?
『論語』には、
知っていることは知っている。
知らないことは知らない。
それが「知る」ことだ。
という有名な考えがあります。
単純なようですが、実際には難しいものです。
仕事でも日常生活でも、
「分かりません」
と言いにくい場面があります。
知っているふりをする。
分かったつもりになる。
自分の知識だけで判断する。
そうすると、新しいことを学ぶ余地がなくなります。
本書を通して見えてくるのは、
「知らない」と認められることも、学習するために必要な能力
だということです。
知識をたくさん持っていることより、
自分がどこまで理解しているのか。
どこから先は分からないのか。
それを区別できる方が大切なのかもしれません。
「仁」は学び続ける状態
『論語』で重要な言葉の一つが「仁」です。
一般的には、
思いやり。
人を愛する心。
人間らしさ。
などと説明されます。
ところが安冨歩さんは、「仁」を学習と結びつけて読みます。
自分の考えを絶対に正しいと思い込まない。
新しいことに触れる。
間違いに気づく。
考え直す。
変化する。
そうした学習の回路が開いている状態を、「仁」として捉えます。
この読み方をすると、「仁」は、
「立派な人だけが持っている徳」
というより、
自分を固定せず、学び続けられる状態
として身近になります。
ここは『超訳論語』の中でも特に特徴的な部分です。
君子と小人の違い
『論語』には「君子」と「小人」が何度も登場します。
一般的には、
君子=立派な人。
小人=未熟な人。
と考えやすいでしょう。
本書では、ここにも「学習」という視点が入ります。
自分の間違いに気づけば修正する。
困難から何かを学ぶ。
他人の言葉を聞いて、自分の考えを見直す。
こうして学習の回路を開いている人が「君子」です。
反対に、
自分は正しい。
悪いのは相手だ。
もう自分は分かっている。
と考え、学ぶことを止めてしまえば「小人」に近づきます。
つまり、
君子と小人は他人を分類するためだけの言葉ではない
と読むことができます。
「今の自分は、学べる状態だろうか」
と確認するための言葉として読む方が、本書の考え方には合っています。
「和」は同調とは違う
人間関係について考えるときに興味深いのが「和」です。
「和」と聞くと、
周囲に合わせる。
争わない。
みんなと同じ意見になる。
という印象を持つことがあります。
しかし『論語』には、
「君子は和して同ぜず」
という言葉があります。
相手と違う考えを持っていてもよい。
無理に同じになる必要はない。
重要なのは、お互いが考え、学びながら関係を作ることです。
本書では、双方の学習回路が開いていることで、互いに学び合いながら「和」が生まれていくと考えます。
これは、
「自分の意見を捨てて相手に合わせる」
こととは違います。
自分も変わる可能性を持つ。
相手も変わる可能性を持つ。
その状態で対話する。
違う者同士でも、一緒に学ぶことができる。
この考え方は、仕事や家族、友人との関係にも置き換えやすい部分です。
「楽しむ」ことも大切
本書では、「学ぶ」だけでなく「楽しむ」ことも取り上げられます。
知っている。
好きである。
楽しんでいる。
この3つは同じではありません。
義務感だけで続けていると、学びは苦しくなります。
反対に、
もっと知りたい。
試してみたい。
面白い。
と思えるものは、自分から学び続けられます。
勉強でも仕事でも、
「正しくやらなければならない」
だけでは長く続かないことがあります。
学ぶことそのものを楽しめる状態を作る。
これも『超訳論語』から読み取れる大切な考え方です。
本書は10章で構成
『超訳論語』は、『論語』を最初から最後まで順番に訳す構成ではありません。
内容は10のテーマに分けられています。
たとえば、
- 学ぶこと
- 知ること
- 仁
- 楽しむこと
- 志
- 正直
- 他人を批判すること
- 考えること
- 友人との関係
などです。
そのため、論語全20篇を体系的に学ぶというより、
現代にもつながるテーマごとに孔子の言葉を読む
形になっています。
最初から順番に一気に読む必要もありません。
そのとき気になるテーマから読み返す使い方もできます。
良かったところ
論語の印象が変わる
「論語=昔の道徳」
と思っている人ほど、本書は意外に感じるでしょう。
中心にあるのは、
学ぶ。
変わる。
考える。
対話する。
という動的な考え方です。
古典が急に現代の問題へ近づいてきます。
自分でも考えたくなる
本書は、
「孔子がこう言っているから正しい」
と押しつける読み方ではありません。
安冨歩さん自身が大胆に読み直しているからこそ、
「本当にそうだろうか」
「自分ならどう読むだろう」
と考えたくなります。
本書に全面的に賛成する必要はありません。
むしろ、疑問を持ちながら読むこと自体が、この本のテーマである「学習」と相性がよいでしょう。
一つの言葉から読める
長い物語を追う本ではありません。
そのため、短い時間でも少しずつ読めます。
気になる言葉を一つ読む。
少し考える。
自分の生活に置き換えてみる。
そんな使い方ができます。
気になるところ
独自解釈がかなり強い
最大の注意点はここです。
『超訳論語』は、一般的な現代語訳とはかなり異なります。
安冨歩さん独自の解釈が、本書の魅力でもあり、好みが分かれる部分でもあります。
そのため、
「これが論語の唯一の正しい意味だ」
とは考えない方がよいでしょう。
原典そのものに興味が出てきたら、標準的な現代語訳や注釈書と比べてみるのがおすすめです。
論語全体を学ぶ本ではない
本書は、『論語』全20篇を一文ずつ解説する本ではありません。
そのため、
漢文として読みたい。
歴史的背景を詳しく知りたい。
原文の意味を正確に勉強したい。
という目的には向きません。
古典研究の入口というより、
「論語ってこんな読み方もできるのか」と興味を持つ入口
として使う方がよいでしょう。
抽象的に感じる部分もある
「学習回路」
「仁」
「和」
など、考え方そのものを扱う本です。
そのため、
「明日から何をすればいいのか」
という具体的な行動を求める人には、少し抽象的に感じる可能性があります。
すぐ使える仕事術ではなく、自分の考え方を見直す本です。
こんな人におすすめ
『超訳論語』は、特に次のような人に向いています。
- 『論語』に興味はあるが難しそう
- 古典を現代の視点から読みたい
- 「学ぶ」とは何かを考えたい
- 自分の考えを固定したくない
- 人と意見が違うと疲れてしまう
- 一般的な論語とは違う解釈も知りたい
- 短い言葉から少しずつ考えたい
反対に、
原文を正確に学びたい。
漢文として論語を勉強したい。
標準的な現代語訳だけを探している。
という人には、本書だけでは不足します。
中国古典ならこちらも
『超訳論語』を読んで、
「昔の言葉を現代の生活へ置き換えて考えるのは面白い」
と感じた人には、『超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない』も候補です。
『超訳論語』が「学び」「仁」「他者との関係」を考える本だとすれば、『超訳 菜根譚』では、
欲。
お金。
仕事。
人間関係。
心の持ち方。
など、日常生活に近いテーマが多く扱われています。
中国古典から、もう少し肩の力を抜いて生きるための知恵を読みたい方は、『超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない』の感想・要約も参考にしてください。

感想まとめ
安冨歩さんの『超訳論語』は、
『論語』を「学習」という視点から読み直した異色の一冊
です。
中心にあるのは、
「立派な人になりなさい」
という単純な道徳ではありません。
学ぶ。
習う。
知らないことを認める。
間違いに気づけば変わる。
他者との対話から学ぶ。
そうした姿勢が、
「仁」
「君子」
「和」
という言葉につながっていきます。
特に面白いのは、
完成した立派な人間を目指すというより、学び続けられる人でいることを重視しているところ
です。
もちろん、この読み方が『論語』の唯一の解釈ではありません。
安冨歩さん独自の超訳だからこそ、納得できるところもあれば、
「本当にそう読めるのだろうか」
と疑問に感じるところもあるでしょう。
しかし、その疑問も含めて考えること自体が、本書のテーマと重なります。
昔の言葉をそのまま信じる。
著者の解釈をそのまま信じる。
のではなく、
自分でも考える。
分からないことは分からないと認める。
必要なら考えを変える。
『超訳論語』は、そんな「学び続ける姿勢」そのものを考えるきっかけになる本です。
一般的な『論語』とは違う角度から、「学ぶこと」「自分を変えること」「人と関わること」を考えてみたい方に向いています。



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