※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

『日本人の死に時』書評|「長生きしてほしい」という優しさが、時に大切な人を苦しめる現実


「お父さん、お母さんには、1日でも長く元気に生きていてほしい」

そう願って、日々の看病や介護に追われているあなたは、本当に心優しい人です。

けれど、その純粋な愛情が、実は大切な人の最期を「苦痛に満ちた地獄」に変えてしまうかもしれないとしたら、どうでしょうか。

そんな、私たちが普段は意識の奥底に追い払っている「看取り」のリアルを直視させてくれるのが、医師であり作家でもある久坂部羊氏の著書『日本人の死に時: そんなに長生きしたいですか』です。

数々の医療現場や老人ホームを巡回してきた著者だからこそ語れる、綺麗事なしの「日本人の死に際」。

大切な人を本当に幸せに看取るために、私たちが知っておかなければならない「引き際の真実」を、一緒に考えてみましょう。

延命を望まなくても「生かされてしまう」のが現代の現実

どれほど本人が「スパッと逝きたい」と願っていても、現代の医療システムの中では、自分の意思で適当な時期に死ぬことが非常に難しくなっています。

医療技術の目覚ましい進歩は、かつてなら自然に息を引き取っていたはずの命を、機械や薬の力でいくらでも引き延ばすことを可能にしたからです。

著者は、老人ホームで寝たきりになり、意識も定かではない状態でチューブに繋がれた90代の方々を数多く目にしてきました。

彼らもかつては「あんな風にはなりたくない」と言っていたはずなのに、気がつけば現代医療の檻の中で「死なせてもらえない」状態に陥っているのです。

例えば、命の火が消えかけている高齢の患者に対して、医師は「何もしない」という選択を簡単にはできません。

一度治療を始めてしまえば、それを途中で止めることは法的なリスクを伴うため、医師も医療を止められなくなります。

結果として、本人の尊厳は置き去りにされ、生かされているだけの「終わりのない生」が続いていくことになります。

医療の発展は私たちに長寿という恵みをもたらした一方で、自分で自分の引き際を決められないという、あまりにも皮肉で過酷な現実を突きつけているのです。

家族の「生きて」という優しさが時に本人を苦しめる

家族が抱く「少しでも長生きしてほしい」という切実な願いこそが、実は死にゆく本人を最も追い詰める刃になってしまうことがあります。

苦しんでいる本人からすれば、「もう楽にさせてほしい」というのが本音であっても、周囲の「諦めないで」という期待に応えるために、痛みを伴う治療に耐え続けなければならなくなるからです。

最期まで全力で治療を尽くすことだけが家族の愛だという思い込みが、結果として本人の穏やかな旅立ちを阻んでしまいます。

久坂部氏の小説やエッセイでも繰り返し描かれるように、末期ガンの患者が延命治療によってただ苦痛の時間を引き延ばされている光景は、現場の医師から見れば見るに耐えないものです。

それでも家族が「少しでも長く」と泣きすがる限り、医療は本人の体を針で刺し、薬を流し込み、心臓を叩き続けます。

それは、本人の意思を無視した、愛情という名の拷問になり得るのです。

だからこそ、私たちは「自分の寂しさを埋めるための長生き」を求めているのではないかと、一度立ち止まって胸に手を当てて考える必要があります。

本人の視点に立ち、何が最大の救いなのかを問い直すことが、本当の家族の愛ではないでしょうか。

平穏な最期を迎えるには看取る側の「あきらめる勇気」が必要

愛する人に穏やかで尊厳ある最期をプレゼントするためには、私たち看取る側が、医療を限界まで求めないという「あきらめる勇気」を持たなければなりません。

自然な老いや死のプロセスに抗うのをやめ、命の限界を受け入れることこそが、本人の体から余計な苦痛を払い、静かな時間を生み出す唯一の道だからです。

死を敗北と捉えるのをやめたとき、初めて家族としての本当のケアが始まります。

著者は、下手に治療をせず、抗わずに穏やかに死と向き合うことの価値を説いています。

延命治療を断り、自然な経過に身をまかせた患者は、驚くほど穏やかな表情で、枯れるように眠りにつくことが多いと言います。

一方で、「最後まで諦めない」と管に繋がれた患者の表情には、壮絶な苦悩が刻まれてしまいます。

看取る私たちが「もう十分に生きたね、頑張ったね」と、手を握って送り出す覚悟を決めること。

この引き算の優しさ、つまり「あきらめる勇気」を持つことこそが、現代社会において人間らしく死ぬための最大の鍵になるのです。

結論:大切な人と「死に時」を語る時間は、今しかない

『日本人の死に時: そんなに長生きしたいですか』を読み終えたとき、私は胸が締め付けられるような痛みを感じました。

「下手に延命せず、穏やかに逝きたい」という自分の理想と、「少しでも親に長生きしてほしい」と願う家族としてのエゴが、心の中で激しく衝突したからです。

しかし、その葛藤から目を背けてはいけないのだと、本書は静かに教えてくれました。

現代は、放っておけば「望まない長生き」をさせられてしまう時代です。

だからこそ、親が元気なうちに、そしてあなた自身が健康なうちに、「どんな最期を迎えたいか」を具体的に話し合っておく必要があります。

「あきらめること」は、決して冷たいことでも、見捨てることでもありません。

それは、その人が生きてきた人生の価値を認め、その人らしく旅立たせるための、最高に温かい贈り先なのです。

今夜、親御さんの顔を思い浮かべながら、これからの生き方と引き際について、少しだけ考えてみませんか。

その一歩が、いつか訪れる最期の日を、温かい涙と感謝で満たしてくれるはずです。


コメント