
織田信長を主人公にした小説は数多くあります。
桶狭間の戦い、比叡山焼き討ち、長篠の戦い、そして本能寺の変。
歴史好きなら、その先に何が起こるのかを知っている人も多いでしょう。
では、結末を知っている信長の物語を、どうすれば新鮮に描けるのでしょうか。
垣根涼介さんの『信長の原理』が面白いのは、ここに一つの答えを出しているところです。
本作が描くのは、戦に勝ち続ける天才・織田信長だけではありません。
「なぜ人は思い通りに働かないのか」
「優秀な人間だけを集めれば、本当に強い組織になるのか」
そんな疑問を抱き、世の中を支配する「原理」を見つけようとする信長です。
そして、その考えの中心に登場するのが「2・6・2」という数字。
天下統一へ近づくほど強大になっていく織田家と、逆に少しずつ追い詰められていく家臣たち。
そのすれ違いを追っていくと、誰もが知っている本能寺の変が、少し違った出来事に見えてきます。
この記事では、前半で『信長の原理』のあらすじや読みどころをネタバレなしで紹介します。
後半では物語の展開にも触れます。
ただし、本能寺の変へ至る決定的な動機や、本作ならではの解釈の核心部分までは明かしません。
これから読む方は前半まで、読了済みの方は後半まで読んでみてください。
『信長の原理』とは?
『信長の原理』は、垣根涼介さんが織田信長を主人公に描いた長編歴史小説です。
まずは、本作の基本情報をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書籍名 | 信長の原理 |
| 著者 | 垣根涼介 |
| 出版社 | KADOKAWA |
| 単行本発売 | 2018年8月 |
| 単行本ページ数 | 592ページ |
| 文庫版発売 | 2020年9月 |
| 文庫版 | 上巻384ページ・下巻416ページ |
| ジャンル | 歴史小説・時代小説 |
本作の大きな特徴は、織田信長が「何をしたのか」だけでなく、「なぜ、そのように考えたのか」という内面に深く踏み込んでいるところです。
桶狭間の戦いや織田家の勢力拡大など、歴史上の出来事も描かれます。
しかし、物語の中心にあるのは信長の「思考」です。
信長は、目の前で起きていることを「そういうものだ」と簡単には受け入れません。
なぜ同じように鍛えた兵士でも、よく働く者と働きが鈍る者が出てくるのか。
なぜ優秀な人間を集めても、全員が同じように力を発揮するわけではないのか。
そこには、人間の意思だけでは変えられない何らかの法則があるのではないか。
信長は、そんな疑問を抱き続けます。
そして、幼い頃から目にしていた蟻の行動と、人間の集団に共通するある規則性に気づいていきます。
それが、本作を最後まで貫く「2・6・2」という考え方です。
織田信長を扱った小説は数多くあります。
その中で『信長の原理』が特徴的なのは、合戦や天下統一への過程だけではなく、合理性を求め続ける信長が、人間や組織をどのように理解しようとしたのかを物語の軸にしている点です。
その「原理」が信長を助ける一方で、やがて信長自身の考え方にも大きな影響を与えていきます。
ここに、『信長の原理』ならではの信長像があります。
『信長の原理』のあらすじ【ネタバレなし】
幼い頃から、信長は周囲とうまく馴染めない人物として描かれます。
常識だから。
昔からそう決まっているから。
皆がそうしているから。
信長にとって、そのような理由だけでは納得できません。
物事には必ず原因があり、結果には何かしらの法則がある。
そう考えながら成長していきます。
そして戦場や人間の集団を見ていくうちに、信長はある傾向に気づきます。
懸命に動く者がいる。
周囲を見ながら普通に働く者がいる。
ほとんど役に立たない者もいる。
しかも、優秀な人間だけを集めれば問題が解決するわけではありません。
そこからさらに集団を作ると、その中でも再び働き方に差が生まれていく。
本作では、これが「2・6・2」という考え方として信長の頭に強く残っていきます。
最初は兵士たちを理解するための考え方にすぎません。
ところが織田家が大きくなるにつれ、信長は自分の家臣たちにも同じ原理を当てはめるようになります。
羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益。
天下統一を目前にして、信長の周囲には有能な家臣たちが揃っていきます。
それなら織田家は、さらに強くなるはずです。
しかし信長の頭には、別の疑問が生まれます。
優秀な者を集めても、その集団の中で再び差が生まれるのなら――。
自分の家臣たちはどうなるのか。
信長が世の中を理解するために見つけたはずの「原理」が、やがて信長自身と織田家を追い込んでいきます。
『信長の原理』の感想|面白いところは3つ
2・6・2から信長を描く発想が面白い
『信長の原理』で最も特徴的なのは、やはり「2・6・2」という考え方でしょう。
ただし、この作品の面白さは法則そのものを説明していることではありません。
「信長なら、このような法則を知ったとき何を考えるだろう」
という部分です。
合理的な信長なら、
「全員が働けば、もっと強い組織になる」
と考えるかもしれません。
役に立たない人間を取り除き、優秀な者を集めれば、さらに効率はよくなる。
一見すると正しい考え方です。
ところが、人間の集団はそんなに簡単ではありません。
優秀な者だけを集めても、その中でまた差が生まれる。
ここから信長の悩みが始まります。
歴史上の出来事そのものではなく、信長の「考え方」に物語を与えたこと。
これが『信長の原理』の大きな特徴です。
なお、2・6・2の法則そのものについては、ここでは詳しく掘り下げません。
合戦よりも家臣たちの緊張感が印象に残る
戦国小説と聞くと、大軍同士がぶつかる合戦を思い浮かべるかもしれません。
しかし『信長の原理』では、戦そのものと同じくらい、信長と家臣の関係が重要です。
信長のもとで結果を出せば出世できる。
成果を上げれば、さらに大きな仕事を任される。
ここだけを見れば、実力主義の合理的な組織にも見えます。
ところが反対に考えれば、結果を出し続けなければ立場を失う可能性があるということです。
一度評価されたからといって、その地位が保証されるわけではありません。
昨日まで重用されていた家臣でも、期待に応えられなければ信長の評価は変わる。
そのため、織田家が強くなるほど、家臣たちの安心感まで増していくわけではありません。
むしろ、
「次も結果を出さなければならない」
という緊張が強くなっていきます。
会社員と戦国武将を単純に同じものとして考えることはできません。
それでも、成果を求め続ける組織の中で人が感じる焦りや不安には、現代にも通じる部分があります。
歴史小説でありながら組織小説としても読める。
ここは『信長の原理』の大きな魅力です。
天下人に近づくほど孤独になっていく信長
本作の信長は、とにかく考えます。
世の中には何か原理があるはずだ。
それを理解すれば、人の動きも予測できるはずだ。
そして、人を適切に動かすこともできるはずだ。
この思考は、信長の強さにつながっています。
一方で、弱さにもなっていきます。
人間は計算どおりには動きません。
忠誠心もあれば、不満もあります。
恐怖もあれば、意地もある。
同じ人間でも置かれた立場によって行動は変わります。
信長は天下統一に近づいているのに、人間への不信は消えていかない。
むしろ自分の「原理」を信じれば信じるほど、
「では次に脱落するのは誰なのか」
と考えなければならなくなります。
敵が減っているはずなのに、安心できない。
天下人へ近づいているはずなのに、周囲を完全には信じられない。
この矛盾した信長の姿が、本作に独特の緊張感を与えています。
『信長の原理』はこんな人におすすめ
『信長の原理』は、織田信長が好きな人だけに向けた小説ではありません。
歴史上の人物が「何をしたのか」だけではなく、「なぜそうしたのか」を考える小説が好きな人には、特に相性がよい作品です。
また、人間関係や組織の中での心理を描く作品が好きな人にも向いています。
反対に、
「次々と合戦が起きる爽快な戦国小説を読みたい」
という人には、少し印象が違うかもしれません。
本作では、人物が考える場面がかなり重要だからです。
信長だけではありません。
信長に仕える者たちが、自分の立場や信長からの評価をどう受け止めているのか。
そこまで含めて楽しむ作品です。
織田信長についてある程度知っている人でも、
「こういう方向から信長を描く方法があるのか」
と新鮮に読める歴史小説ではないでしょうか。
文庫上下巻とKindle合本版はどちらがいい?
これから読む場合、紙の角川文庫版は上巻・下巻の2冊に分かれています。
一方、電子書籍には上下をまとめた合本版があります。
そのため、作品内容を理由に上下どちらかだけを選ぶというより、読み方によって選ぶのがよいでしょう。
紙の本で少しずつ読みたいなら文庫上下巻。
Kindleで続けて読みたいなら上下合本版。
という選び方が分かりやすいです。
Kindleの上下合本版には電子特典として、垣根涼介さんと東山彰良さんの対談も収録されています。
ここまでは、大きなネタバレを避けて紹介しました。
ここから先は、本作後半の展開にも触れます。
本能寺の変に対して作者がどのような答えを出すのか、その核心部分までは明かしませんが、まったく情報を入れずに読みたい方は読了後に戻ってきてください。
ここからネタバレあり|『信長の原理』をさらに考える
信長を助けていた「原理」が、やがて信長を縛っていく
物語の前半では、2・6・2という考え方は信長にとって便利なものです。
なぜ全員が同じように働かないのか。
なぜ優秀な人間とそうでない人間が生まれるのか。
その理由を考える材料になるからです。
ところが織田家が巨大化すると、その意味が変わってきます。
信長の周囲には優秀な家臣が残ります。
普通なら、それは喜ぶべき状況です。
しかし「優秀な人間だけを集めても、そこでまた差が生まれる」と考える信長にとっては、安心できません。
誰かが伸びれば、誰かが落ちる。
誰かが期待に応えれば、別の誰かが期待を裏切る。
信長は次第に、目の前の家臣そのものを見るだけではなく、
「原理に当てはめれば、この人物はどこに位置するのか」
という目でも見るようになります。
最初は世の中を理解するための道具だったはずです。
ところが後半になるにつれて、その「原理」から信長自身が逃げられなくなっていく。
この逆転が面白いところです。
「働かない者」を切れば解決するわけではない
信長の考え方だけを追うと、仕事のできない人間を外し、優秀な人間を残していけば理想的な組織ができそうです。
しかし、本作はそれほど単純には進みません。
古くから織田家を支えた家臣であっても、信長の期待する働きができなければ立場は変わります。
一人を外せば、残った人間だけで強い組織が完成する。
信長はそうした状態を求めます。
ところが残った者たちの間でも、また差が生まれる。
これは信長にとって、非常に受け入れにくい現実です。
完全な組織を作ろうとすればするほど、人を入れ替え続けなければならない。
しかも、それを見ている家臣たちには、
「次は自分かもしれない」
という不安が残ります。
組織を強くしようとする行動が、結果として組織の中に恐怖を作ってしまう。
『信長の原理』では、この矛盾が後半になるほど大きくなっていきます。
信長だけでなく、家臣側から見ると景色が変わる
信長から見れば、家臣に成果を求めるのは当然です。
天下統一という大きな目標があり、そのために最も効率のよい方法を選ぼうとします。
しかし家臣側から見ると、事情は違います。
長く仕えていても安心できない。
一度大きな功績を立てても、次の成果を求められる。
さらに大きな仕事を任されれば、それだけ失敗したときの危険も大きくなります。
ここで重要になるのが、信長と家臣の認識のずれです。
信長は、
「結果を出せば評価する」
という合理的な仕組みを作っているつもりかもしれません。
しかし家臣から見れば、
「いつ切り捨てられるか分からない」
組織にもなり得ます。
どちらか一方だけが間違っているという話ではありません。
同じ組織にいながら、立場によってまったく違う景色が見えている。
その積み重ねが、織田家の中に少しずつひずみを作っていきます。
著者の垣根涼介さんも、本作について、特定の黒幕が光秀を操ったという方向ではなく、織田家という組織の中に生じたひずみが光秀という人物に現れた、という趣旨の考えを語っています。
本能寺の変を「誰が悪かったのか」だけで終わらせない
織田信長を描く物語で避けて通れないのが、本能寺の変です。
歴史上、何が起きるのかは最初から分かっています。
そのため『信長の原理』のポイントは、
「本能寺で何が起こるのか」
ではありません。
「なぜ、そこまで行ってしまったのか」
です。
一人の人物の恨みだけで説明する。
誰か別の黒幕がいたと考える。
そうした方向とは少し違い、本作は信長が作り上げてきた組織そのものを見ていきます。
成果を求め続ける信長。
期待に応え続けなければならない家臣。
人を理解するために「原理」を求める信長と、その原理だけでは割り切れない人間の感情。
こうしたものが積み重なった先に、本能寺があります。
だからこそ結末を知っていても、
「どのように本能寺へつながっていくのか」
を追う面白さがあります。
具体的な決定打については、本作を読む楽しみとしてここでは伏せておきます。
『信長の原理』というタイトルが最後に効いてくる
読み始めた頃は、『信長の原理』というタイトルの「原理」は2・6・2の法則を意味しているように見えます。
しかし最後まで物語を追っていくと、それだけではないように思えてきます。
信長自身が世の中をどう考えているのか。
どうすれば人を動かせると思っているのか。
何をすれば強い組織を作れると信じているのか。
それらすべてが、信長自身の「原理」ともいえます。
信長は常識を疑い続けます。
だからこそ新しいことができます。
一方で、自分が見つけた答えについても、もっと疑うことができたならどうだったのか。
そう考える余地が残ります。
世の中に原理が存在したとしても、それを理解した人間がすべてを思い通りにできるとは限りません。
むしろ一つの原理に人間を当てはめすぎれば、見えなくなるものもある。
天下を手にしかけた信長が、最後まで完全には支配できなかったもの。
それが「人間」だったのではないか。
『信長の原理』というタイトルには、そんな皮肉も込められているように読めます。
『信長の原理』感想まとめ
『信長の原理』は、織田信長の生涯を追いかけるだけの歴史小説ではありません。
2・6・2という考え方を物語の軸に置き、
「なぜ人は同じように働かないのか」
「優秀な人間を集めれば、本当に強い組織になるのか」
「結果を求め続ける組織で、人間はどう変わっていくのか」
といった問題を描いています。
戦国時代の物語でありながら、描かれている問題は意外なほど現代的です。
上司と部下。
評価する側とされる側。
成果を求める組織と、その中で働く人間。
そんな視点から読むと、信長や家臣たちの行動も違って見えてきます。
そして何より面白いのは、織田信長というあまりにも有名な人物を扱いながら、
「結果は知っているのに、その過程を読みたくなる」
ことです。
信長はなぜ、あそこまで合理性を求めたのか。
なぜ家臣たちは追い詰められていったのか。
そして信長が信じた「原理」は、本当に正しかったのか。
読み終わったあと、その答えを自分なりに考えてみたくなる作品です。
織田信長を題材にした小説をすでに何冊か読んでいる人にも、これまでとは違った角度から信長を見られる一冊だと思います。

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